06 May

冬に啼く蝉

冬に啼く蝉



ーー雪降る樹に止まって啼いている蝉
その声は凍える空に溶けるーー

二月の空澄み渡る郊外私鉄の駅ホーム
風冷たく襟を立てる
鉄路の東にうっすらと赤みを帯びた空
昨日の涙をこらえた頬
かすかに濡れた哀しみ
淋しい目をした全身黒い服を着た青年
始発整列乗車の列から離れて立つ
入線した12両編成青い車体4ドア車両
扉が開くと雪崩れるように吸い込まれる都市の奴隷たち
座れなかった者たちの悔しそうな目線が宙を舞う
今朝つかの間の勝利者たちは目を閉じ
メガシティまでの小一時間眠りに付く
青年は最後尾からゆっくりと乗り込む
ドア際の隅に嵌まり込んで握り棒を掴む
冬の蝉の影
季節はずれの冬に迷い込んだ蝉は必死で希望を掴む
白いイヤホンから漏れる微かな音
囁きのようなそれは弱り切った”冬に耐える蝉”
目を閉じた影は銀色の冷たい手すりに溶けていく
車両は高架上を加速し
目覚め始めた街を抜けていく
西側の低い住宅街の向こう
雪を被った富士が輪郭鮮やかに聳える
ドア際の影が静かに目を開く
100キロ先の富士に視線を合わせ
蝉の羽を震わせるように
目蓋を数度開閉する
祈りに似て霊的なしぐさ
二度と来ない夏の影を身に纏う青年の
淡い茶色が反射する長い髪
凍える波のように揺れ
青白い頬が静かに色づき
朝日に透ける命の細さ
途切れ途切れに奏でられるベースの指腹カンタービレ
明けきれぬ空の星
あの頃の約束を胸に灯し
蝉の声のように煌めく
やがて太陽にその時を譲る
”さよならぼくの星たち”
”メキシコに行ってみたい”
青年は声にならないまま呟く
メキシコの風に黄色いワンピースが揺れ
冬の蝉の囁き
朝霜のように静かに肌に張り付き
目覚めるたびにそれを払う
風に向かって立つ
声なき呪文
"もう痛くない"
蝉の囁きのように
毎朝そう繰り返さなければ
薄くなった胸に弱々しく打つ赤い血は流れない
朝霜を払うように
黄色のワンピース
夏の蝉の記憶を宿し
風に揺れて消える
遠い波に沈んだ微笑み
海峡の波に溶けた恋人
波の彼方で微笑む
天の川
互いに手を伸ばす星と星
嵐の丘の叫びに似て
胸を熱くする
激しき恋を思いながら
車窓に二人の星を探す
淋しさは終わらない
白いイヤホンから誰とも知れぬ声
夜を待ちなさい
メキシコの夜を
窓に映る眼
小さく声をあげる
遠い、と思った
あまりに遠い、と
影さえ映らぬ瞳の沈黙を怖れる
夢の続きの夢を
長い間見続けていると歌う白いイヤホン
口笛透きとおり
青春の影の切なさ溢れる孤独な時間
車窓は急行速度揺れながら東へ
漏れて聞こえてくる蝉の声
凍える胸震える
白いイヤホン
冬の孤独を閉じ込める