引き続き生きようとする者は、必然の死をためらいもなく、ただ静かに胸の内に押し込んでしまうことになる。
あしたは在るものものではなく、ただ過ぎ去るべくして在り続ける白紙のノートにすぎない。 あしたを過ぎ去ってしまうために、日々の感性は言葉となって流れ、文字としての過去が、静かにあしたを待つ。
駄文の羅列。生涯の不出来。・・・・・・否、である。いや、否、であるべきなのだが・・・・・・。
決して中断することのない思惟は必ず小さな自分を乗り越え、新しい『自分』を発見するだろう。闘え、闘え、たとえ絶望と混乱の季節があろうとも。闘えーーー。
暗黒の星々よ
光明な理性はあるのですか
答えてください
百億年は宇宙の何物ですか
私は
宇宙の何者ですか
-----そして結論。大海原の涯ての、見逃せない涯てのかすかな小波に想いを寄せる、弱い戦士たちの群像。
精神が病んでいるとしても、孤独を捨てることはできない。耐えなければならない淋しさ、というものがある。
連帯という言葉がどれほど一人の人間の心を乱し、人間不信に陥らせることだろう。「・・・・・・主義は信じられるが、人が信じられなくなった」こう言って何人もの弱き戦士たちが孤独を耐えようと決意していく。
だから、「連帯」と叫ぶくらいなら沈黙の生を終えることになる。
今もう、ジャズばかりが友達になっている。
古びた作りの小さな、静かな店でコーヒーを飲む。ひとりでいる娘・青年・女・男・そして僕。皆そろっているけれど、やっぱり一人ぼっち。
人間は人の間と書く。人と人のあいだに闇ができて、つかず離れずの距離がある。 そして、こんな店では、たいていマスターは客をそおっとして置いてくれる。
優しい沈黙がそこにはある。
ジレンマ───。
僕自身では僕の顔を証明できない不条理。君が僕を証明するのに、僕には僕を証明する手懸りがない。ということは、ジレンマを生きていく他に生きようがないということ。
オキナワでは・・・・・・。