ここまで生きて来れたことを誰に感謝すべきなのだろう。亡き母か亡き父か亡き弟か・・・。あるいは、ありきたりに天上の尊き神か。我が家で生き残っているのはこの老いた私だけ。決して幸せな家族などではなかったと思うが不幸でもなかった。ただ淡々と生きて来た。笑顔もあった。泣きもしたし、怒りもした。たぶんこの世に数多ある人生や家族の歴史と変わらないと思う。時間が過ぎるように身近ないくつかの人生が閉じられ、いずれこの人生も閉じられる。
そう思うと、今までのあらゆる出来事が愛おしく想い起こされる。儚いなぁ、と思うし、切ないなとも思う。この過ぎ去りし私的な時間を支配していた「何か」とは何か?唐突に『恋』と言ってみていいだろうか?それとも『衝動』というべきか?それとも、もしかしたら『日本人』という存在証明のために生きてきたのではなかったか?自分が『日本人』であることを肯定できるようになりたいと願って生きてきたようでもある。それが『恋』と『衝動』の根底だったかも知れないという感慨に気づいてしまったかも知れない。
私の死は、ひとりの人間の死というよりはひとりの日本人の死であるべきだと強く思うようになってきた。なぜなら、日本は日本人以外の連中によって貶められて来たし、今もそれは続いていることを知り始めたからである。一見日本人とほぼ変わらない容貌を纏っていて、日本語を話すし、日本姓を名乗っているからなかなか気づかないことだったのだ。日本の深層で起こっていることに気付けたことは人生の先はもう短いにしても、幸いである。
ぼんやりして何も知らぬままに人生を終わらずに済むだけでも良しとしたい。あの数年がなければ私は気付きもしなかっただろう。あの地震以降の日本を観ていなかったら何も知らぬままにこの世から消えねばならない羽目になっていたかも知れない。どれほど老いても『覚醒』することはあるものだ。願わくば日本人は団結して事に当たって行きたいものだとう思う。
想い起こしてみる。グリコ・森永。雪印。不二家。
すべては日本の主だったマスコミとの連携の上でそれらは計画され実行されたのだ。日本のマスコミはけっして日本人の味方ではなかった。共謀して日本を貶める『外部の力』と化していたのだ。
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