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音楽の日本性って....
楽曲にストーリー性を求める日本人、という話があったけど、私にはそれが邪魔に感じる。私はサウンドを聴きたいと思ってしまう人間。ヴォーカルも楽器の一部として聴きたいと思ってしまう。
なので言葉の意味が分かってしまう日本語の歌はほとんど聴かない。(あなたの)失恋物語の心の波立ちを聴きたいのではなく、楽曲の持つサウンドの雰囲気を聴いていたい。
意味を完全には理解出来ない外国語の曲を気分に合わせたサウンドとしてい聴くスタイル(リフも含めて)。ボーカルがもうひとつの楽器として充分に存在していると感じられる必要が私にはある。
なので、音域の狭い、あるいは会話しているだけにしか聞こえない歌唱性が無い日本語曲はほぼ聴かないし、なおかつ押しつけがましい私小説的物語を聴かされるのは遠慮したい。だって物語なら自分の中に無数に存在しているのだから、その自分の中の物語りを触発し引き出し、新しい自分物語りを創り出してくれるサウンドを求める。
サウンドとして聴くことが出来る歌唱力ある日本語楽曲なら聴くこともある。
結局今のところ、洋楽万歳なのだ。
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優しさに触れる
短動画をよく観るのだけど、下に貼り付けた動画を観て、これを感動の押し付けだと言うひともいるかも知れない。カメラマンが撮影しているのだから、現れた男と示し合わせて作画していることに間違いはなく、意図して撮影しているのは確かなこと。
たとえそうであったとしても、私はこの手の動画を観るたびに、涙を禁じ得ないのです。
なぜ私は泣くのだろうかと、いつも考えてしまうが、その本当のところを探り当てることが出来ないでいる。
日本から発信されているこの手の動画を観たことが無い。たとえ出ていたとしてもごく僅かだろうと思う。
ホームレスとは関係はないが、よく日本人は親切で助けてくれる、と言う。しかし、それははっきりと外国人と分かるひとに対してだけで、自国民(日本語を母国語とし、顔立ちも極東顔)に同じように親切にしているかと問われて、ハイと言い切ることが出来るだろうか。
新宿のホームレスたちが寝床にしている西口のガード下や小田急ビルの周辺を仕事で通るが、上記の動画のような光景を見たことがないし、そのような動画を探せたこともない。
ああ、でも一回だけとても微笑ましい光景を見たことがある。若い男女のグループが、おそらく前夜から続いていたのだと思うが、ガード下のホームレス(ひとりだったかふたりだったか?)を囲んで酒やつまみを並べて笑顔で宴会?をしている脇を邪魔しないように通り過ぎ仕事に向かったことがある。それも2021年のコロナ禍の最中のことでその場の誰もマスクなどしておらず、とても印象に残っている。
日本でもホームレスの方々を支援している団体や個人は存在することは知っている。YouTubeのチャンネルに「東京ブルーシート」があるが、支援団体ではなく、ホームレスの方々の人生を紹介するというスタンスだ。
私は何が言いたくてこの文を書いているのだろうか....
今もうひとつ良い短動画を見つけたので
この若い女性ふたりの放つ優しさに涙する
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SNSと言ってもTwitterしか知らないが.....
FacebookやInstagramの他にもコロナ以降検閲の無いSNSがいくつか現れたが、私は何れも使っていない。Twitterだけ。当初は情報の収集のつもりでアカウント取得し、ほとんど発言書き込みすることは無かった。
情報提供者にお礼をするときに短い書き込みをするくらいだったのだが、たまに腹に据えかねる書き込みがあると、不思議なもので反論せずにはいられなくなる。これがSNSに浸かり始めるきっかけなのだと今になって思い返す。怒り。この感情が書き込みを誘うのだ。そして自分の意見表明をし出すのだ。大方の人にとってはこれは肯定的な成り行きなのだろうし、積極的に自己表現をすることは大切なことだ、とは思う。
しかし、それが一年、二年と続くと私は自分の発言の矛盾にしばしば気づいてしまう。そしてその言葉の矛盾、論理の矛盾を覆い隠すように様々な修飾をするようになった気がする。それは科学的な装いをしながらだったり、倫理学の孫引きだったりした。
おりこうさんでいようとする発言ほど自己を押しつぶす。ほんとうは啖呵切って「んなことどうでもいいことだ」とは言えない自分。
コロナ騒動は嘘がほとんどだと思い始めたのは2020年の3月、クルーズ船プリンセス号の問題が大きくなった辺りからだ。「何か胡散臭い」「これは作られた事件だ」と直感させるものがあった。それでも、万が一を考えて感染対策をと言い募る側の圧に屈してマスクを購入したり消毒液を結構必死で入手したりした。何か変だ、という違和感を抱きながらの世間との並走であった。
マスク圧に負けた時期もあったが2022年の春には仕事の時以外は街中でも満員電車でもマスクを外していた。今は仕事中も他のスタッフはマスク装着しているが私はしていない。誰も何も言わない。お客も何も言わない。
2020年は米大統領選挙もあり、SNS界隈はコロナ騒動と絡めるようにして激しい論戦が続いていたし、世界が狂ったようになった。様々なイベント中止があり、オリンピックの2021夏への延期が決まったのが2020年3月11日。ダラダラとそして息苦しさに締め付けられるような月日が過ぎていく。春の選抜中止、オーバーシュート(爆発的感染拡大)という言葉が専門家から飛び出した3月9日。
4月1日に亡き安倍首相が布マスク2枚を全戸配布すると方針。4月7日に東京都、大阪府、福岡県、埼玉県、千葉県、神奈川県、兵庫県に緊急事態宣言が出された。
ここでいわゆる感染拡大期の波を振り返ってみる。
第1波 2020年1月~5月
第2波 7月~9月
第3波 10月~2021年2月 (2月17日から医療従事者先行接種が始まる。、高齢者は4月から。以降随時基礎疾患のある人、高齢者施設職員)
第4波 2021年3月~6月 (一般15歳-64歳への接種は5月末から随時自治体で)
第5波 7月~9月 (先行接種者の3回目接種、ファイザーは11月、モデルナは2022年1月から)
第6波 2022年1月~6月 (3月29日時点:1回目80.9%、2回目79.4%、3回目39.8%が接種。四回目接種開始は5月25日から)
第7波 7月~9月 (2022年10月21日から5回目接種開始)
第8波 10月~2023年1月 (2023年5月8日から6回目接種開始)
第9波 2023年6月14日 感染症対策分科会長尾身氏「第9波の入り口に入ったのではないか」と語る
ついでにワクチン接種状況を拾う2023.6.13現在のNHK資料
6回目まで接種している人が1千万人を超えているんだね。単純に驚くよ。
今となっては、私がマスクを拒否し出したのがいつ頃からなのかはっきりとは覚えていないのだが、今年に入ってからは仕事場でもほぼ拒否してきた。今年の5月8日過ぎてからは完全にどんな場面でもマスクはしていない。
振り返るに2021年オリンピック前には満員電車以外ではマスクをしなかったが、さすがに満員電車でマスクを外しているのは恐かった。感染するかも知れない感染させるかも知れない怖さではない。マスク警察とのトラブルは避けたかったからだ。このあたりが根性が入っていない小心者であったのだ。満員電車でもマスクを外し始めたのは2022年に入った辺りだったろうか?あるいはそれより前かも知れないが、確かに覚えているのは2022年の夏には汗拭きタオルハンカチを手に山手線の満員電車に乗っていたことを覚えている。
マスク信奉者には信じがたい愚挙で、暴挙と思わるだろうが、私の調べ尽くした果ての結論は、この新コロのウイルスと呼ばれるものは存在しないということであった。もし当時感染と言われる事態があったとすれば、それは撒かれた感染性の無い毒素であるだろうということだった。そしてその毒素は人から人へは感染などしないのだ。その環境に毒素があったということである。
もし本当に感染性のウイルスであったなら、鉄道沿線での感染拡大図が描けたはずなのにそのような図をついぞ見たことは無い。
実際は集団ヒステリーに陥っていた大多数の妄信と思慮のなさが生んだ感染お化けだったのだと思う。重篤な呼吸器疾患を呈すると言われていたはずなのに、いつの間にか心筋炎を起こすなどと病態が変異していることに疑問を持たない大多数を私は全く信じない。ウイルス株の変異と共に病態も変異するのだとか、ほんと都合の良いウイルス感染症だと思わざるを得ない。
ワクチン接種が開始されてからの事態は、医療側にとっては都合よく推移することになる。ワクチン副作用被害はコロナ病態に置き換えられ、受診への誘いとなっている。根本からの改善快癒が期待できない症状を対症療法で切り抜けることで受診の長期化が計られるというわけである。
現代医療の持つ詐欺性を利用した世界的なパラダイム変換への道筋は時々刻々と支配者優位のまま進んで行く。
尻切れトンボだが、今日はこの辺で。
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こんな街に私は住んでいたことがあるらしい
今となっては記憶などというものは全くあてにならないことがはっきりと認められるので、この写真の街に私が住んでいたかどうかなどどうでもいいことなのだろう。
レンガ造りの建物は確かにあったし、それは名の通った建築物でもあるのだからこの写真のような佇まいかどうか見る人が見れば明らかなこと。つまり、この写真は大嘘でもある。
私はその大嘘の景色に愛着あり、この街がかつて住んだことのある街であることに違いないのだと思うことは道理がないわけではない。
即ち、街はいつも記憶の漂いの中で美しく輝き、寂しく思い起こされ、悲しく忘れていくものなのだと思うので、たとえ嘘街であってもわたしの心の映写機としては一向に差し支えは無い。
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無題
母の死はあまりに早かった。45歳の死を私は耐えた。じゅうぶんに耐え抜いた。だがやはり、耐えがたい死なのだと感じる。あれから何をしても、夢中になれそうな遊びや読書、SNSでの書き込みなどしても、ふと気づけば自分の中は空っぽなのだと。
ひとりしか生存していない娘が産まれたのが、母の死の二日後で、まさに生まれ変わりであり、娘に会えば母を思い出し苦しくなる。もう死んでもいいんだと思う。死にたいと思う。母の死の年齢を遙か後方に振り返りながら、それでも今の同伴者と長く連れ添うことに決めている。連れより長く生きねばならないと思う。それは、連れは病気で倒れて以来、運動機能に障害があるから、介助犬である私が先に逝くわけにはいかない。
話を飛ばすが、SNSは情報を収集する場としてはとても有用だが、麻薬のような依存性を感じてなるべく離れたいという忌避感が働くのです。けれど時代はいつも変動期であるという終わることのない特別感、唯一性、特殊感を与え続けるだけの装置に思えてもいます。ひとの心の退屈と物理的な暇を埋め尽くすための何かを求めている自分を感じないわけにはいかない。SNSは格好の舞台なのだろう。遊んでいるつもりが遊ばれてしまっている、そんな感じがしてならないのです。
消そうと思います。どのアカウントであるかを知っている人はただひとりです。そのひとはこのブログを読むことで了解してくださると思います。
話が飛ぶ無礼をご容赦ください。
ではまた近いうちに。
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