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Deep & Dark Progressive Mix(Youtubeから)
この電子的な打ち込み重低音を結構気に入っている
歌詞がなく、言葉に深入りすることなく、ただ聞き入るだけでいい
1時間15分40秒のあいだ身体が小刻みい振動する
こうした音楽を流しながら若い人たちは灯りが点滅する小屋で踊っているのだろうか
私はパソコンの前で、いろいろな言葉や文章をいくつかのサイトに打ち込むのである
意味不明なページ詩を描くにはよい
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Gara Kuta
■風過傷恋
この先に想い起こすことがあるとすれば、それは絶望したあなたの眼であり、悲しみの重底から見上げる滲む赤い唇。
■藍空美貌
品川駅のとある雑踏呑み屋街の一角の薄い壁の隙間に、地下へと続く黄金色の管があるという話を聞いた その管の中から一匹の歌姫が捕獲されたのは、随分と時間を遡ったあたりの伝聞だ 事実かどうか・・・ 足に枷をはめられたまま発見されたとき、彼女の孔という孔から馨しい音楽が漏れ出ていたというではないか ハーハーという声とあたりに透けるように通る音楽のせいで、裏路地がひととき極彩色に輝いたというではないか今宵、純正七番の裸足の足跡は管から路地へ、路地から止まり木へ、止まり木から座敷へと渡り歩くという
■命である限り
ひとり詩の流れ定まることはなく白い泡立ち岩肌を優しく抱いて未練熱く手を伸ばす 水の冷たさ情念の熱き沸騰を知り得ぬ河の悠々と永年を過ぎる様 マングローブの暗い森を抜ける鳥が一声し 連れ添う者もなく飛び舞う年月の堂々たる孤の在りよう逞しさ雄々しさ 飛翔すなわち旅する生命の本質疑いもない 希求するのは意味ではなく時間を抜けて行くこと空間を移動すること 行動と勇気こそが生命の意義であり生きること 停滞することは生命を失うことであるかのように飛び続ける そのことだけが生命そのもの 離れよそこを 扉を叩き壊せ 空と森と嵐と海と山々とに身を任せ飛び立つことだ 頓挫とか断念とか果たせず無念の死とか それでも飛び続ける以外を生命は欲しない 飛べ!
■蒼空彩華
春が過ぎ夏がやがて空となり 秋に引きずる冬をこそ 下衆な勘ぐり唯の人生 蒼空の下 彩り華の咲く ■憎悪快癒 謀られた憎悪誘発 無視 無視 瞑ると見えてくるもの 個人 貧困 自由 規定から離れることの真相があった 国家売買禁止 今日を生きる真相 宇宙を想うことだった 今日の花に触れることでもあった 哀しき赤い花がすべてを忘れさせる
■美貌藍歌
新宿の森の背後から現れ出る女たちの群れに、ふらふらと迷い込んだ美貌藍歌は大きく口を開けた管を曝した。 その管の中を覗き込んだ薄汚れた新宿の森の女たちは一斉に声を立てて哂い出すのだが、理由もないその哂いに美貌藍歌は後ずさりしながら管の先をとろけた皮膚で覆い隠したのだった。 よってたかって剥がそうとする力は美貌藍歌の皮膚を硬直させカラカラに乾涸びさせて、抵抗という意思の虚しさがポロポロ瘡蓋となって肉を侵す。 足の枷は外れぬまま美貌藍歌は彷徨う。いのちがカラカラと乾いていくのを左目の端に感じながら折れた股関節を引きずっていく。 一本の丸太を引きずったような痕跡をどこまでも残しながら生きていくのは哀しい。 美貌藍歌は、やはり哀しい。 赤提灯暖簾を潜って、おひとついかがですかなどと歪んだ笑みを浮かべてみても、美貌藍歌は凍っている。腐臭漂う路地裏を一本の痕跡を引きずって彷徨う姿は背ける目の端にさえ入らない。 蒼いつかの間の静寂は、遠くから音を連れてやってくる者を今日も待っているのだ。 美貌藍歌の哀しさを慰めるためでも、夜に彷徨う哀しさを賛美するためでもない。瀕した哀しみに満たされた美貌藍歌の、ただそこにある一本の管のように哂われながらあるという、ただそのことのためだけに。 今宵、純正七番の折れた脚どりは管から路地へ、赤提灯から暖簾へと渡り歩くという。
■藍美宙心
蒸気の中で肌は眠る藍色の宙を仰ぎ臥し、胸がきつく締め付けられる夜気に浴しながら、いつ覚醒するのか知れぬ。 平らな夢の憶えの向こう側へは二度と逝けないと知っているはずだから、絞るような動悸さえ気付かれぬ無名匿名しびと。かくあらんと欲する心は彷徨える一匹のスカイフィッシュカマイタチは光の虚映悪戯な幻想は人のなせる希望という名が付く。
■網目交感
網でしか繋がらないのは わたしの詩感でしかないと判っている 顔のないコトバから想い描かれる 優しさは ガラス細工の花のようではないか わずかな不用意が すべてを粉々にしてしまう もっと細心の柔らかで 抱いていなければいけなかった 手に握られた極彩色の光の粒を 無限に繋がり合う網の目の中にパラパラとこぼす 誰かが拾いあげて一から育てなおす 脆く姿の明確ではないフィギアを ガラス細工の光の粒を集めて 細心の柔らかさで包むとき すべての杞憂から救われるに違いない
■地下管身体
異形姿を晒しながら ネオンの下で生きて行くか 好奇の眼を意識しながら 異形は飯を食う 山手線外周り新宿ション便横丁 鉄路の地下管に身を滑らせば 遥か懐かし幾十年過ぎたる 若き折の夢哀しいか 雨に滑る車の音
シャーシャーと
子守唄 耳元で靴音が止む恐怖の夜さえ明ける
■相対化された早退
絶対の孤独 と 早退の孤独って 学校を早引けした ひとりが好きな 少年Mの 物語りで語られた科白だったと誰が言ったの? 早退した少年Mの絶対の孤独は 相対化された夕暮れ
■秘匿する時間経過
あらがうように 筋肉を鍛える 老いのはじまり青春のおわり 汗を流し 震える筋肉に何かを託すかのようだ 脅威百五 福井七十五 電位九十三 今日も負荷を与えギシギシと追い込む ときがおわるのを 知られまいとするかのように < 補文 > 窓に映した僕の顔 と歌った douji 僕は自分の顔を見るのが嫌いだ 嫌いになった そこには見知らぬ顔の男がいるばかり ヒゲを剃るとき決して向こう側の目を見ることはない それはそれは恐ろしいことに違いないのだから
■遊び詩わがいのち
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あそび詩わがいのち
ことほど左様に空廻る
今は冬
夏草の上に寝そべること叶わず
いのち不安
絶えることのない
プレセニールな思念
※
猛然と不安な湖の面から360メートルの湖底に何 を置き沈めたというのか 海面より100メートルも下に あるという湖底へ誘う手がある とでも言うのか 畏れを敬うかのように誘い出される精神の深みは 暗く重い水圧に押し潰されているだろうか
※
しからはじまる
湖の面を読むとき
いのちをあそぶほかない自分に気づき
口の端が歪む
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しらべながれて
にてもにつかない
たたかいのおわりに
いつものねこがいた
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しらぬまに
にもつがおもく
たすけてといいだせなくて
よろよろと
※
しごとする
にせのこころを
たのしめと
いいきかせてはからまわりする
※
しずかなよるなのかと
にえきらないたたかいのひび
くたくたになるまでななめにあるく
いのち よびだし・・・
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書いておかなければならないことがあるような気がするけど...
書いておかなければならないことか...
何を?
あるはずだ。無いなんてことは無い。
連絡無精な私だが、それには何となくの訳がある。私はひとりで死んでいきたいと常々思っているのだ。もう何年も前からその準備に入っていて、年賀状を出すのをやめたのは10年以上も前のことだ。それでも未だに幾人かの知人友人から年賀状が届く。返事も出さないのに、と申し訳なく思っているが、その返事が来ることを期待もせずに律儀に年賀状を出し続ける彼らが愛おしくもある。娘からでさえ年賀状は来なくなった。最後に連絡を取ったのは昨年の9月のLINEでだった。誕生日にAmazonカードを送ったことへのお礼のポスト。
私は今とても静かな日々を送っている。仕事は依頼に応じて出かけるが、強い拘束がある仕事ではないので気分は楽なのだ。相方と住んでいるが、彼女もまた人との付き合いが苦手な性質なので誰かがこの部屋を訪ねてくることはない。仕事場での付き合いだけだが、どこかへ泊まりがけで出かけたときは必ずお土産を買っているし、クリスマスには職場の同僚にとクッキーやらの洋菓子をかなりの量買って職場に持って行く。私は一切しないことなので、そんな相方を最低限の人間関係を保つ良識人だなぁと眺めている。私にとっては相方は唯一の人間的な関係者。
娘に捨てられても、友だちに恵まれなくても一向に構わない。私にはこの胸の中にただひとりの竹馬の友がいる。その思い出がたくさんある。その友ともおそらく20年以上会っていない。
なんだろう...私は過去の思い出だけで生きていける生物らしい。竹馬の友、娘、愛した幾人かの女たちからたくさんの数え切れない思い出を貰っている。これからの人生を退屈しないで過ごせるだけの財産がそこにはある。時に悲しみ、時には楽しく想い出し、時には懺悔と共に振り返る過去がこの両肩にずっしりと重くもあり、心地よくもある。
各人の詳細は近いうちに書くこともあるかも知れない。出来ればすべてを書いて置きたい衝動があるが、こんなweb上に書き留めたところでどうなるというのだろう。
思い出の消費は無限だが、この命は有限すぎて淋しくもある。金の尽きたときが私の命の終わりのとき、そのときまでは健康な身体のまま過ごしていたい。
そう健康に。
その健康を保つために私は一切の注射をするつもりがない。子供のころや若いころに何度か注射をしているのは致し方ないだろう。医療によって私は身体を毒され続けてきた、と最近思い至ったわけで、種痘やBCG、痛み止めや麻酔注射を何度か受け入れてきたが、これから先は可能な限り打たないつもりでいる。
あるとき気づいて注射だけでなく薬も極力飲まなくなり今日まで来たが、お陰かどうかしらないが重い病気に罹ったことがない。風邪程度は熱が39度ほどに上がっても、水分とひたすらの睡眠で2日もあれば快癒してきた。10年ほど前にそれこそ10年ぶりに熱を出したことがある。そしてそれから10年、ついひと月前ほど12月初旬に熱を出した。熱が出る一週間ほど前から食欲がなく、どうしたんだろうさすがに歳か、などと思いながらいたら体重が2㌔ほど減っていた。そして熱発。39度。翌日は仕事が休みだったので夕方から次の日は一日中寝ていた。良く日の朝には36度4分まで下がっていたので仕事に行った。仕事から帰ったら37度4分。ぶり返していたがよく日までひたすら水分摂取して眠った。次の朝熱は下がっていた。そのままもう熱が上がることはなかった。水分と睡眠。これだね。
で、昨今はコロナ検査やらインフル検査を受けるひとが多いらしいが、私は検査などしなかった。医療機関に行かないのだから当然に検査をすることもない。寒気がする身体で寒い病院の待合室で小一時間待たされるだろう。行き帰りにも一時間くらいは使うだろう。だったらその時間水分を摂って寝ていたほうがどれだけ身体に利があるだろうかと思う。
長年病院に勤めていた自分がそう思うにはいろいろ訳がある。打ったひとがインフルに罹り、打ったひとが陽性になっている。点滴し続けている人が肺炎になるし、どんどん身体が弱っていく。稀に予防注射を打っていないのに検査結果がコロナ、インフル共に陽性となるひともいるが、そりゃ身体が不調なら様々な毒が排泄され続けているのだから、何かしらが反応して陽性になることもあるだろうさ。陽性だからと言ってその病気とは限らないのは説明書にも記載がある。ようは気にしないこと。そのためには検査を受けないことが大切だ。その時間を家でゆっくり休むことこそが寛容なのだ。
まぁ、医療に騙されないことが大事。そのためには極力病院に行かないこと。行ってもその結果など適当に流し聞きをすること。自分の身体に自分で聞いてみる癖を付けること。自分の身体を日頃から観察することが、やたらに病院に掛からないようにするためには大切なことだ。
薬も治療の保険が使えるから安い。今は3割だが高額になっても国がほとんどを負担してくれる制度もある。ある意味では病院はかかり放題なのだ。だがあくまで保険制度内でのこと。
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連れがダブル陽性となって
11月31日夜7時過ぎに連れが帰宅し、熱があるという。
37.3度。明日はどうしても休めないと。
角上で買ってきた銀鱈弁当の銀鱈とご飯を三分の一と前日残りの鱈鍋を椀に一杯を食べて寝る。
水補給のため枕元に浄水を用意。就寝時点で37.7度の熱。
12月1日朝。
熱下がっていないが出勤するという。
私は連れより早い時刻に出勤。6時に家を出た。連れは7時20分頃にいつも家を出る。私の帰宅は午前の仕事を終え、生協で買い物をし、14時帰宅。
既に連れは帰宅し寝ていた。熱は38.8度だと。インフルエンザ・コロナ共に陽性だったという。
インフルは抗原検査だと思えるが、コロナはPCRかと聞いたら抗原検査だろうと。
そうだよな、今は同時検査キットが一般にも販売されているのだし、と思った。
で、来週一週間は公休だという。
なんてこった!会社社員はいいな。私みたいな日雇いとは違う。私は休んだら一銭も入ってこない。
その日の夕食は30日と同じく鱈鍋。蛋白質はキチンと摂って欲しかった。鱈の切り落としが安くパッケージされていたので中二日しか空いていなかったが鱈鍋に決めた次第。つみれ団子と葱・白菜・葛きりを入れようと思った。ミカン一袋、牛乳プリン、北海道余市の林檎ゼリー、杏仁豆腐も買った。
この時点で熱が38.7度ほどあったので結局鍋にはせず、杏仁豆腐・ゼリー、そしてミカン3個を搾ったジュースを摂った。
私は前日の残り物である角上の天丼と鍋の残り、唐揚げで済ます。
眠った・・・。
俺も9時には就寝したのだが、そのとき連れがフフフと笑った。あとで聞いたら覚えてないという。夢だな。
今朝は私は6時まで寝ていた。
車を運転していて、渋滞の中、前を走る同僚の車が他の車ともめ事?私は車を降りて同僚のところへ・・・が車は流れ出し同僚も乗車し出発・・・私も出ようとし車に戻ろうとしたが車がない。黒のバンのはずだ。キーは車の中らしくポケットを探してもキーはない。車流は立体交差になっているこの辺りを埋め尽くしている。私の車は無い。
起床。
連れは7時ころ起きた。熱は36.5度だという。怠さは抜けていないという。また熱は上がるのかもともいう。
連れの朝食は、白がゆとゆで卵、余市のゼリーを用意した。私はゆで卵と日本茶とピーナツひとつかみ。
それでだ。
インフル・コロナ検査キットの話。
私はこの検査結果をまったく信じていない。インフルエンザやCOVID-19などという病名が付く病気があるのかどうかさえ妖しいと思っている。
なので、私は連れを別部屋に隔離などしない。連れはビタミンDの不足によって症状が出たのだと思っている。
なにせ、連れが日光を浴びるのは朝の通勤時だけなのだ。退勤時には夜になっている。日に20分ほど日光を浴びればビタミンDは体内で充分な量が生成されるというが、朝の角度のない太陽を浴びているだけでは、また曇り空の日も多いのにビタミンD生成に充分とは言えないと思っている。
私の場合は、昼中に意識的に陽を浴びるようにしている。日陰を歩かない。ベランダには時々出て陽を浴びる。
女性の日焼け防止の考え方には賛成出来ない。健康は日光浴からしか得られないと考えている。せめて、日焼け止めを徹底するというならビタミンDサプリは摂取すべきだと思う。ビタミンDサプリは他のビタミンサプリと違ってまったく害はないのだと誰かが言っていた。
あと、連れは三食キチンと食べないと気が済まないひと。それも充分に満たす必要がある、らしい。
私はいつも腹8分程度だ。へたすると昼まではお茶や水だけで済ますこともある。昼は蛋白質をキチンと摂るようにし、夜も蛋白質摂取を心がけた食事。あと筋トレ。
筋トレは日常の活動の中に取り入れている。いわゆるアイソメトリックトレーニングを機会ある度に行うのだ。電車での吊り革を使った腕・肩・背中、掴まり棒での腹筋・腕・背中、起立時の脚全般の筋トレ(その方法はどれも自身で工夫したもの)。
アイソトニックトレーニングは自宅でダンベルやチューブ、自重で行っている。腕立て・懸垂・スクワットが主たる種目。
特に体脂肪を下げるために何かはしていないが、17%前後の体脂肪率だし、骨量も充分で筋肉量も多いし、基礎代謝も多め。体脂肪に関しては15%まで下げてしまいたいとは思っている。健康のための筋トレなので体脂肪を一桁まで下げて見た目を整える必要などない。筋力が年齢以上なら文句はない。
健康についての考え方はひとそれぞれだが、私にとっての健康維持策は腹八分・蛋白質・運動・7時間睡眠と日光浴だな。
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MARIA麻莉亜さんの十勝岳縦走
登山をしない私が唯一気に入った登山チャンネル。とにかくカメラワークが凄い。素晴らしい。