卯年です
一連のSolitudeサイトの所在を今まで誰にも教えたことがない。けれど、昨日初めてある方にURLを送った。その方は散文家(小説を書いている)であり、SNSで知り合った。会ったことはない。これからもきっと直接お会いする機会はないだろうと思う。すべてはなすがままであるが...。
ものがたりはこの身体と脳裏にたくさん詰まっていて、あとは言葉として表記すれば良いわけだが、どうも散文は苦手で妄想だけが膨らむと言葉に物語性を与えることが不可能になるくらい収集が付かなくなる。詩文や前衛ぶった難解発話は妄想の嵐を受け入れてくれる。まぁ、要するに根気と構想力が無いことを自身が理解しているというわけ。もっとありていに言えば、才能はない。
ところで、漸くコロナの政治的な落とし所が見えてきたのかも知れない。それにしても当初4月に入ったらと言っていたのが、日を置かず4月下旬となり、あげくは5月上旬とか言い出していて、困惑というより、呆れるというかどんよりした怒りに身が浸されるというべきか。
コロナ施策は感染防止の観点などかなぐり捨てている。単なる政治的な案件でしかなかったのだと知るばかり。ワクチンを接種しておらず、日常でマスクを着けることはなくとも元気な自分がいる。とはいえ寄る歳波、視力・反射神経・聞こえなどほろほろと崩れ落ち始めてはいるのだ。
で、何を書こうと思ったのか忘れた....
そうそう、SNSへの反応もそろそろ少なめにしていこうと思い始めている、ということを書きたかった。
SNSでたくさんの情報に接することができ、コロナ騒動下にあっても基本的には冷静な判断が出来たと思っている。SNS情報には感謝。
SNSでなるべく個人情報を発しないように気をつけてはいるけど、その場の心の動きの中で、つい書いてしまうことがある。ブログなら推敲する時間はタップリあるので、あらぬことを発信するのを避けることは容易、とは言ってもブログでも発信してしまうことはある。後日削除しても誰かが保存していれば、消したつもりが足跡だけは永遠に残ろことになり焦ることに。
SNSもある程度の推敲時間を取ることは出来るが、なにせリアルタイムで進行し、画面が流れていくので、書いたら間断なく押してしまうことがデフォ。
こちらの心の状態が不調のときに限って”すぐに押して”しまう。何度か後悔はあり、都度削除するけどスクショされている可能性も否定出来ないあたりが怖い....
というわけで、SNSとの付き合いは冷静さを保ってほどほどに。という話でした。